アペロールを吸っても、苦くない。

アペロールを吸っても、苦くない。

文:オリバ(deeep 研究係)


アペロールは、オレンジ色のほろ苦いリキュールだ。
1919年、イタリアのパドヴァで、バルビエリ兄弟が作った。

この秋、ロシアのDzen Rollから「イチゴ×アペロール」というシーシャのフレーバーが出た、という業界ニュースが流れてきた。

アペロールの命は、あの苦み。
でも、私は先に言っておきたい。

アペロールを吸っても、たぶん苦くない。

オレンジ色のリキュールのボトルの横に、乾いたオレンジの皮とリンドウの根が並んでいる

苦みの持ち主は、根と樹皮

アペロールのレシピは公開されていない。
材料としてよく挙げられるのは、ビターオレンジ、ゲンチアナ、キナ皮、ルバーブ。

苦みを担うのは、主にこの三つとされる。

  • ゲンチアナ(リンドウの仲間の根):アマロゲンチン
  • キナ皮(キナノキの樹皮):キニーネ
  • ビターオレンジの皮:ナリンギンなどの配糖体

アマロゲンチンは、とんでもなく苦い。
苦みの強さを示す値は5,800万とされる。
1gを5万8,000リットルの水に溶かしても、まだ苦いという計算だ。
家の浴槽(約200L)で、290杯ぶん。

同じゲンチアナに入っているゲンチオピクロシドの値は1万2,000。
桁が四つ違う。

重すぎて、飛べない

では、なぜ煙に乗らないのか。
答えは、分子の重さと形にある。

分子量で並べてみる。

  • リモネン(オレンジの皮の香り):136
  • キニーネ:324
  • ナリンギン:581
  • アマロゲンチン:587

アマロゲンチンとナリンギンは、苦い骨格に糖がくっついた「配糖体」だ。
糖のついた分子は、水にはなじむが、空気には出ていかない。

キニーネも、記録されているのは沸点ではなく、177℃で一部分解しながら溶ける、という性質だ。
気体になる前に、壊れはじめる。

シーシャの煙は、葉の中身がいったん気体になり、冷えて霧に戻ったもの。
気体になれない分子は、ボウルに残る。

いっぽうリモネンは、沸点が約176℃の軽い分子。
前に書いたレモンの回で紹介したとおり、ボウルに入れたリモネンの61%が煙に移ったという測定がある(たばこ会社の資金による研究)。

アペロールのうち、煙に乗れるのはオレンジの皮の香り。
苦みは、ボウルの中で留守番をしている。

アペロールの苦み成分は分子が重く、煙に乗れるのは軽いオレンジの皮の香りだけ。
アペロールの苦み成分は分子が重く、煙に乗れるのは軽いオレンジの皮の香りだけ。

苦みは、鼻には届かない

それでも、苦みにも匂いがあるのでは。
そう思って、もう一つ論文を探した。

2024年、オランダ・ワーゲニンゲン大学のMuらは、味の分子を「嗅げるか」を試した。
キニーネを0.0083%溶かした水と、ただの水。
3つのカップのうち、どれが違うかを当ててもらう。

口に含んで、喉から鼻へ抜ける香りで比べたとき。
84回の試行で、正解は24回。
当てずっぽうでも28回前後は当たる計算なので、見分けられていなかった。

鼻先で嗅いだときは、わずかに見分けられた(82回中35回)。
でも空気の中から見つかったのはキニーネではなく、塩素を含む別の物質だった。
しかも、鼻先で正しく当てた人のうち、その匂いを「苦い」と結びつけた人は0%だった。

苦みを受け取るのは、舌にある苦み専用の受容体だ。
人には25種類ほどあるとされ、アマロゲンチンはその一つ、TAS2R50を動かすことが分かっている。
苦みは、鼻ではなく舌で数える感覚なのだ。

キニーネの水は、喉から鼻へ抜ける香りでは、ただの水と見分けられなかった。
キニーネの水は、喉から鼻へ抜ける香りでは、ただの水と見分けられなかった。

五つの味は、どれも飛べない

前に、ハイビスカスの酸っぱさは煙にならない、という話を書いた。
アペロールの苦みで、もう一つそろった。

並べてみると、舌の五つの味はどれも煙に乗れない。

  • 甘み(砂糖):沸点の前に分解する
  • 酸味(クエン酸):分解する
  • 塩味(食塩):沸点1,465℃
  • うま味(グルタミン酸ナトリウム):232℃で分解
  • 苦み(キニーネ、アマロゲンチン):重く、壊れやすい

シーシャで感じる「甘い」「酸っぱい」は、香りが脳に思い出させている味だ。
アペロールの場合、煙に残るオレンジの皮の香りは、苦さよりも果物の甘さを思い出させる(ここは私の推測)。
だから煙になると、オレンジのいい匂いだけが残る。

舌の五つの味の分子は、どれも煙に乗れない。
舌の五つの味の分子は、どれも煙に乗れない。

家で試せる、3つのこと

1. グレープフルーツで、香りと苦みを分ける。
まず皮を指でこすって嗅ぐ。次に、皮の内側の白いワタを少しだけかじる。
香りは皮から、苦みはワタから。アペロールの分業が、一つの果物で分かる。

2. 鼻をつまんで、マーマレードをなめる。
苦みは残る。でも、オレンジらしさは消える。
鼻を離すと、オレンジが戻ってくる。煙に乗るのは、戻ってきたほうだ。

3. 苦みが欲しいなら、カップで。
煙に乗らないなら、口に入れればいい。
キナ入りのトニックウォーターや、濃いめに淹れた紅茶を横に置いて、一口飲んでから吸う。
舌には苦み、鼻にはオレンジ。足りなかった半分がそろう。

ガラスのコップに入ったトニックウォーターと、その横に置かれたシーシャのボウル

アペロールの苦みは、ボウルの底で留守番をしている。
煙になって出かけていくのは、オレンジの皮の香りだけ。

ほろ苦さは、置いていかれる。
だから、甘い。

参考

  • Dzen Roll の新作(ロシアの業界ニュース、2026年9月)— waterpipe.pro
  • Aperol 公式サイト(1919年、バルビエリ兄弟)— aperol.com / 材料の説明:Difford's Guide — diffordsguide.com
  • Fiorito, S. et al. (2022) *Leaves of Yellow Gentian (Gentiana lutea) as an Alternative Source of Bitter Secoiridoid Glycosides*, Journal of Natural Products 85(9):2232–2235 — doi:10.1021/acs.jnatprod.2c00529(苦み値 58×10⁶ と 12×10³)
  • PubChem:Amarogentin、Quinine(融点177℃・一部分解)、Naringin、Limonene(沸点175〜178℃)、Sucrose(分解)、Sodium chloride(沸点1,465℃)、Monosodium glutamate(450°Fで分解)— pubchem.ncbi.nlm.nih.gov
  • Holt, J. M. et al. (2022) *Investigating the transfer rate of waterpipe additives to smoke as an integral part of toxicological risk assessments*, Toxicology Reports 9 — doi:10.1016/j.toxrep.2022.04.022(JT International SA 資金)
  • Mu, S., Stieger, M. & Boesveldt, S. (2024) *Can humans smell tastants?*, Chemical Senses 49 — doi:10.1093/chemse/bjad054
  • Behrens, M. et al. (2009) *The human bitter taste receptor hTAS2R50 is activated by the two natural bitter terpenoids andrographolide and amarogentin*, Journal of Agricultural and Food Chemistry 57(21):9860–9866 — doi:10.1021/jf9014334
  • Meyerhof, W. et al. (2010) *The molecular receptive ranges of human TAS2R bitter taste receptors*, Chemical Senses 35(2):157–170 — doi:10.1093/chemse/bjp092
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